花の窟・花窟神社 三重県熊野市
一人旅。
熊野から伊勢へ車で移動する途中、薄暗くなってきた海辺の道沿いに灯篭が点いている場所がある。
花窟神社だ。
午後6時過ぎ、参道は灯篭と電柱の明かりのみ。曇り空であるので鎮守の杜は今時期にしては暗い。
そんな長細い参道を抜けるとパッと開けた場所に大きな岩が聳え立つ。これが「花の窟」だ。
時間が時間なだけにその場にいるのは自分ひとり。静寂の中で見上げた花の窟の頂上はぼやけて見えた。空気の重さ、岩の存在感に圧倒される。
花の窟・花窟神社について 由緒
日本書記に「 一書曰伊弉冉尊(いざなみのみこと)火神を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、花窟の名は増基法師が花を以て祭るということから起った名とされています。
花の窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったことから花窟との社号が付けられたと考えられています。
古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体としています。
石巌壁立高さは45mほどあります。
南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で囲った拝所があります。
花の窟の南に玉砂利を敷きつめた祭場そして、王子の岩と呼ばれる高さ12メートル程の岩があります。
この岩は、軻遇突智尊(かぐつちのみこと)の御神体です。この神が伊弉冊尊の御子であることから王子の窟の名の由来とされています。
この神様は、伊弉冊尊の御子の窟ということで、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付され、且つ高札を建て殺生禁断が布令されました。
御祭神
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
祭礼について
2月2日、10月2日
お綱掛け神事
有馬地域の氏子が中心となり、およそ10メートルの三旒(みながれ)の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、日本一長いともいわれる約170メートルの大綱に吊し、大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に、もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす神事です。
鎮座地
三重県熊野市
境内
鳥居
参道
花の窟
伊弉冊尊
軻遇突智尊