平安神宮 京都府京都市左京区

平安神宮
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平安神宮について 由緒

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。
平安神宮の創建までの流れとしては当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。
その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。
これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。

その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めています。

京都三大祭 時代祭

時代祭は、毎年10月22日(雨天順延)に行われる平安神宮の大祭で、京都が日本の首都として千有余年にわたって培ってきた伝統工芸技術の粋を、動く歴史風俗絵巻として内外に披露することを主眼としています。このため各時代行列に使用する衣裳や祭具の一つ一つが、厳密な時代考証をもとに作製された”本物”であるところにその特徴があります。
山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に約2,000名・約2キロにわたる 行列は順次、平安京の造営された延暦時代にさかのぼり、歴史と伝統の都・京都の三大祭の1つとして、京都を代表する祭となっています。

時代祭の始まり

時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。
その意志は、京都の誕生日10月22日に「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」というもので、京都人の心意気と誇りが織り込まれているとされます。

全市民奉仕の「平安講社」

時代祭行列は、京都全市域からなる市民組織「平安講社」(全11社)によって運営されています。当初は6列、人員500名の規模でしたが、現在では明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代、室町時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代の8の時代を20の行列に分けて1列ずつ担当しているほか、江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列は京都の5花街が輪番で奉仕するなど、総勢で約2000名もの人々が参加する一大行列となっています。

時代祭 日程

10月15日 時代祭宣状祭
10月21日 時代祭前日祭
10月22日 時代祭・神幸祭
10月23日 時代祭後日祭

御祭神

第50代 桓武天皇

桓武天皇は光仁天皇の皇子として天平9年(西暦737年)にご誕生され天応元年(西暦781年)に第50代の天皇として即位されました。英明な天皇は平城京の規模が小さく、日本の国都として適していないことを察せられ、まず山背国(山城)乙訓郡長岡に都をおうつしになり、さらに最も都に適した処として、延暦12年(西暦793年)同国葛野・愛宕両郡を選び都の造営を始められました。翌13年10月22日新京にうつられた天皇は、ここを平安京と称せられ、延暦15年はじめて大極殿において百官の拝賀を受けられたのです。
桓武天皇は在位25年の間に律令を正し難民を救済し、文教を興しよく内政を整えられるとともに広く海外とも交易して大いに我が国の発展に努められました。以来京都は明治に至る1千余年の間、日本の国都として栄えてきたのです。天皇は延暦25年(西暦806年)に崩御せられ、御陵は柏原陵(京都市伏見区桃山)です。

第121代 孝明天皇

孝明天皇は仁孝天皇の皇子として天保2年(西暦1831年)にご誕生され、弘化4年(西暦1847年)に第121代の天皇として即位されました。天皇の治世は近代日本の胎動期で、幕末の内外騒然とした誠に難しい時期でありましたが、天皇はよく世の推移を察せられ、明治維新の基を開かれました。「さまざまに泣きみ笑ひみ語りあふも国を思ひつ民おもふ為」と憂国済民の熱い志を抱かれつつ、慶応2年(西暦1866年)12月25日、36才の若さをもって崩御せられました。御陵は後月輪東山陵(京都市東山区泉涌寺)です。

鎮座地

京都府京都市左京区

ご祈祷について

厄除祈願・初宮参り・誕生祭、七五三参り、十三(就学)参り、成人祭、歳の祝いなど
そのほかに家内安全・商売繁盛・安産祈願・身体健康・合格祈願・病気平癒・心願成就・交通安全など

境内

平安神宮のご社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは明治28年(西暦1895年)のご創建当時に造営されたものです。
その後昭和15年(西暦1940年)孝明天皇ご鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・内拝殿・翼舎・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)・額殿(がくでん)・内外歩廊斎館(祭典の為参篭する館)・社務所などが増改築され、これまでの社殿も大修理が行われました。また、昭和50年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、その間51年に社殿の一部が災禍に会いましたが、54年にはその復興もあわせて完成し現在のような壮麗なご社頭が整いました。

平安神宮 応天門
応天門(おうてんもん・神門)

平安神宮
大極殿(だいごくでん・外拝殿)

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