熊野那智大社 那智御瀧 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町

一人旅。
熊野本宮、熊野速玉大社と回りここ熊野那智大社へ到着。
雨が降ったり止んだりと不安定な天候の中、山道の運転は大変だ。
熊野那智大社の社殿へ向かう前に、那智の滝へ。止めどなくごうごうと流れ落ちてくる水の勢い眺めていると、時間はどうやっても止められないのだなぁなどと一人思う。
続いて急な山道やら階段やらを登って熊野那智大社の社殿へ。やっと登りきったと思ったら拝殿は大掛かりな改修工事によりぐるっと幕で覆われていた。
綺麗な社殿を維持するには定期的な手入れは必要だ。
これで熊野3社を全て参拝できた。
山道を車で下る途中に熊野古道を少し歩ける場所があったので、全ての路を合わせた距離600kmともいわれる長い長い古道のうちの500m位歩いた。
熊野那智大社について 由緒
熊野那智大社は、田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。
全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。
古来「結宮(むすびのみや)」と称され、ご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められてきました。
熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社で、那智御瀧には、自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとされています。
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源としています。
西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸しました。
そこで一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあて、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りをするようになりました。
神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へ入ることができ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位されました。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれています。(烏石)
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨し、御滝本にお祀りしていたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷ししたのが熊野那智大社の始まりとされています。
那智の御瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体としてお祀りされています。
御祭神
玉垣内には正面に五殿があります。
右から四つ目の御社殿が、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)をまつるお宮でひときわ大きく建てられています。各社殿とも熊野造りで正面の簾の奥は蔀戸で、左側には格子戸があります。殿内は外陣・内陣の二つに区切られています。外に廻廊があり、正面に木階があり、床下に腰袴があります。
第一殿 滝宮(大己貴命)
第二殿 証誠殿(家都御子大神)
第三殿 中御前(御子速玉大神)
第四殿 西御前(熊野夫須美大神)
第五殿 若宮(天照大神)
第六殿 八社殿(天神地祗)
ご祈願について
厄祓い・家内安全など様々
鎮座地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
境内
那智御瀧
御瀧そのものを大己貴命が現れた御神体としてお祀りしています。
熊野の神様は元々ここでお祀りされていました。
那智御瀧 延命長寿の水
鳥居
本殿
宝物殿
大クス 胎内くぐり
熊野那智大社 別宮 飛瀧神社