吉田神社 京都府京都市左京区
吉田神社について 由緒
清和天皇の御代 貞観元年4月(西暦859年)に中納言藤原山蔭(ふじわらやまかげ)卿が京の都の鎮守神として吉田山に勧請し創建されたのが始まりとされています。
鎮座地である吉田山は、古くから「神楽岡」(神が集いし岡)と呼ばれ親しまれている地であり、現在でもその秀麗な山容は東山三十六峰の12峰目に数えられます。
神職であった吉田兼倶が「吉田神道」を創設してからは、神道界に絶大なる権威を得て隆盛を極めた社です。
吉田神社の節分祭
室町時代に執行されて以来、信仰と伝統を誇る京洛の一大行事とされます。
例年約50万人の参拝者が訪れ、境内は多くの厄除祈願やくちなし色の御神札を求める参拝者の人波で埋め尽されます。
特殊神事である節分祭は、本宮、大元宮において節分の当日を中心に、前後3日間に亘って執行されます。
追儺式(ついなしき)は、前日の午後6時本宮に於いて行われ、俗に「鬼やらい」と呼ばれ親しまれています。
これは、平安時代初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って厳修に伝承・継承されており、古の趣を現在に伝える数少ない神事の一つとされています。
その儀式は、大舎人が黄金四つ目の仮面を被り、玄衣朱裳を着装し、盾矛をとりて方相氏となり、・子(しんし※人偏に辰)という小童を多数従え、陰陽師が祭文を奏し終えれば方相氏大声を発し盾を3度打ち、群臣呼応して舞殿を巡ります。最後に上卿以下殿上人が桃弓で葦矢を放ち、疫鬼を追い払うというものです。
平安京鎮護の神として、また全国の神を祀る社として、鬼すなわち悪神を追い払い諸人の不幸を除いて、人々の幸福と平和な生活を願う神事です。
御祭神
健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
伊波比主命(いはいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ)
ご祈願について
商売繁昌・家内安全・交通安全・厄除・開運招福・入試合格・学業成就・初宮・安産・子授・病気平癒・七五三詣など
鎮座地
京都府京都市左京区
境内
参道
授与所
境内
社殿
斎場所大元宮
昔左京室町にあった社を吉田兼倶が後土御門天皇の御代 文明16年(西暦1484年)に現地に造営、同年11月24日奉請の上遷座された。
吉田神道の根元殿堂として道を説き 教えを設け、神職界の宗家として「宗源宣旨(そうげんせんし)」並「裁許状(さいきょじょう)」を発行するなど、大元宮を神道の中心地として神祇道の振興に貢献した。
現在でも当社節分祭では大元宮を中心に特殊神事が行われ、厄塚による厄除祈願の参拝者が群集するなど、本宮と並び賞されるご崇敬極めて篤い。
菓祖神社
果物の祖と言われる橘を日本に持ち帰ったとされる田道間守命と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命の2神を菓子の祖神として祀る社。
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